時代背景と問題
社会の多様化と反して台頭する経済力という唯一のモノサシ
2022年に世界人口は80億人を超えました。同時に、情報ネットワークやSNSの発達に伴い、世界中の文化はもとより多くの個人の主義主張までもが発信から短時間のうちに世界を駆け巡る時代になりました。
各地から発信される多様な文化、多様な主義主張を尊重し、協調性をもって受け容れていくことが、この時代にあっては私たち一人ひとりお互いに、今まで以上に必要になってきています。
その一方で、世間を席巻する資本主義経済の影響で、個人個人の生活のステータスシンボルが経済力のみによって推し量られるようになってきています。「地獄の沙汰も金次第」とかつて皮肉を込めて使われていた言葉が、拝金主義者たちの堂々たる言動によって日毎に真実味を増していっています。
多様性を重んじ協調性が必要とされる時代であるのと同時に、単一的な「経済力」というモノサシだけで人の強弱、時には優劣が決まってしまう時代でもあるのです。
居場所を失っていく経済弱者
「生産性」という言葉があります。これは限られた時間内にどれだけのお金を生み出せるかを示すものです。生産性が高い=たくさん儲かる、ということです。具体的には、作業のパフォーマンスが優れている人、チーム、企業は「生産性が高い」と褒められます。
逆に、生産性が低い人は褒められず、極端に低い場合、人間性まで否定してくるコミュニティ、上司や企業も存在します。それは生産性に象徴される経済力以外に、人間と組織の評価のためのモノサシを持っていないことで起こります。これは、稼げないヤツはクズ、という偏狭で残念な価値観だと私たちKATGは思っています。
また、頑張っているけれど、生産性が低いと卑下され、排除される人にも、他に認めてくれる居場所が無い場合、経済力以外のモノサシを持ち合わせていないがために、ただただ落ち込み、孤独と貧乏に苛まれ、自身の存在価値を疑うことになります。
社会の一員として共存している現実
経済力がない、生産性が低いことの原因はさまざまですが、特に身体障害、精神障害あるいは明確な診断は降りていないグレーゾーンと呼ばれる状態の人に多く見受けられます。
それらの人たちの抱えるコンプレックスと周囲の人のネガティブな相手への評価が相まって、双方の差別感情の負のスパイラルは生まれます。差別感情から生まれる違和感、排他的な言動は、する側にもされる側にも大きなストレスをもたらすことになります。
仮にこれらの差別感情を肯定して、本当に弱者を排除しよう、あるいはみずから社会を抜け出そうとしても、完全にはできません。職場の同僚や、住まいの隣人を選ぶことは誰にもできないのです。また、初めは良いと思えた人間関係も時間がたって感情がマイナスに変化することもあるでしょう。
自分自身と子々孫々が平穏な日々を送るためには、周囲の人と共存共栄するしかない。それが最も合理的な結論です。では、どうすれば共存しつつ共栄できるのでしょうか。私たちKATGはその答えを経験的に知っています。
「コミュニケーション」が生み出す「居場所」と 共感という「喜び」
長々と書いてきましたが、要は、多種多様な人々が協調性をもって、強者弱者の区別なく共存共栄できるための思いと行動が世の中に必要ということです。
1. 「経済力」以外の人の評価基準を市民一人ひとりがもつ
お金以外の幸せの象徴を一人ひとりがもつことです。多様な幸せのあり方を知るためにKATGはさまざまな人と積極的に「コミュニケーション」をとります。そこで発見した新しい価値観は、次の新しい人とのコミュニケーションの中で声に乗って伝わっていきます。
2. 政治、行政主導の市民教育
多様な価値観を個人個人が認めることで、暴力的、排他的な思想や価値観が助長される可能性も増えます。私たちのためにある憲法の精神に則って、法的秩序、公序良俗を守ることを、今まで以上に意識しなくてはいけません。そのために私たちはこの活動を政治家や地方自治体にも伝えて理解を求めていきます。
3. 弱者の側の意識改革
私たちKATGの主張は、これまで不遇を嘆き、あるいは諦め、社会的に立つ瀬のなかった弱者の意識にこそ、最も大きな変革を求めることになります。なぜなら全ての人がお互いにコミュニケーションをとり合うという行動が全ての基盤であり、そのやりとりそのものがその瞬間の人の「居場所」だからです。それを最も苦手にしている弱者にはまず私たちKATGから話しかけます。それが彼らにとっての、新しい居場所作りの始まりです。
コミュニケーションの得手不得手、習得のためにかかる時間は人それぞれですが、少なくともその時間は有意義です。そして、その波が、いわゆる連帯の輪となって社会に広がっていく時、弱者は弱者のままで、大なり小なり居場所を得ることができ、今までになかった「喜び」を感じられるようになるのです。
こうしてコンプレックスを改善した弱者は、周囲の人からの評価も少なからず変えます。変化の波は最初は小さくても次第にコミュニティを覆い、社会システムにまで影響を与えます。かつてインドのガンジーが起こした運動にその実証が示されています。当時、植民地だったインドは奴隷のように扱われていた庶民の思いによってイギリスから独立し、貧困と飢餓に立ち向かい、現在では食料輸出も可能になるまでに成長しました。
4. 一人ひとりが、明るく楽しく元気になれる街へ
私たちは資本主義経済を否定しません。人を測るモノサシが経済力一辺倒になることを嘆いているのです。
住んでいる街で楽しい時間を過ごそうと思えば、お金は必要になります。そうでなくても最低限の生活を営むための収入は絶対に必要であり、そのための労働はすでに義務です。
最低限の経済活動を知るために、私たちはサービス利用者と一緒になって手作りのものを直接販売します。その訓練とも言える小さな経験を頼りに、少しずつより大きな希望にあった仕事に従事できるようになることを期待しています。
また、感動や触発を観る者に与えるエンターテイメント事業に関わりを持っていくことで、喜び悲しみなどの感情表現を培い、コミュニケーションのためのツール、技術に生かしていこうとしています。
そして、一緒に人生をおくる環境に目を向け、四季折々の自然、環境の変化とその美しさに目を向けることで、感動とそれを分ち合う機会を増やします。私たちが取材を続ける魅力スポットは、観光地だけではありません。それでも観る者の心を癒してくれます。その小さな喜びを人と共有することが大きな喜びに繋がります。これには経済力は一切関係しません。
観念論を掲げるだけではありません。現実の社会で街の中で生きていく弱者が、感動し触発を受けられる場に私たちKATGが一緒に飛び込んで行き、サービス利用者様に居場所とその喜びの創造の仕方を伝えていきます。これら全てが、KATGの提供するサービスです。
一部の経済力をもつ人が街で娯楽を享受するのではなく、その街に住んでいる人、皆が本当の意味で、明るくなり、楽しくなり、元気よく生きていく。弱者も強者もそのままで共存共栄。そんな社会をKATGは目指します。